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新潟は金属鋳造や金属加工、刃物などが盛んですね。歴史があるのですね。
なるほど!製鉄遺跡が広大な範囲に広がる理由が分かりました。作り方が分かると派生する様々がみえてきますね。勉強になりました!
代わり番子、なるほどね。勉強になりました。良い番組でした!
遺跡は新潟産業大学の近くかな。砂鉄は海岸から鵜川、軽井川まで小舟で運ばれたのでしょう。何故もっと海の近くでなかったのか、理由があるのでしょうね。
柏崎市さん、いい仕事してますね、大事なことですよね、新潟県民だけではなく日本人全員にとってもとても大事なことと思います。こういう事業は行政にしかできないことです。このような事業を「税金の無駄遣い」などという何の勉強もしていない人士の言論は無視しましょう。
しかし何で400年にもわたって大規模な製鉄が行われたのに現在に至るまで記憶から完全に失われ造成工事が行われるまで忘れ去られてしまったのかそちらに興味がある。400年といえば20世代を少し下回る程度で何世代長年にわたり近隣諸国の者も知らない人はいなかったはずなのに文献にも言い伝えにも残っていないとは不思議。
400年も続いた歴史なら文献が無いのは確かにおかしいです。私は大災害で巨大な赤レンガ建築物の工場が崩れて赤土になってしまったと見ています。
電話ってご存知ですか?いわゆる有線の固定電話のことです。・電話は停電時でも使えるように、電話局から電気を供給しています。・牧場で電話線を牛が噛んでも死なないように、12Vという電圧になりました。・低電圧でも長距離伝送できるよう、高品質な電線を使っています。・高品質で高価なのでとても細く作られています。・とても細くて加工が非常に難しく、専門職の人しか工事ができませんでした。ベルが電話を発明したのが1876年携帯電話がショルキーから小型化していったのが1990年代iPhone発売が2007年かつて電話は世界中に普及し、先進諸国ではほぼ全世帯に設置され、100年以上使われてきました。冒頭で述べた電話線の技術的なアレコレは、少し技術に詳しい人なら誰でも知っているものでした。ところが携帯電話の普及が進んだ2000年代から徐々に需要が減り始め、iPhoneにはじまるスマホが爆発的に普及し、スマホ登場後15年ほどで完全に「過去のもの」となってしまいました。まだまだ店舗や家庭の固定電話やオフィスのビジネスホンなどは健在ですが、新規で設置される電話回線は光ファイバーで、昔ながらの電話線の工事は殆どありません。冒頭で述べたような電話線に関する設計ノウハウは、記録としては残っていますが専門職人は減る一方で、恐らくその工事ノウハウはあと1世代もすれば完全に廃れて忘れ去られると思います。基幹産業の先端技術ほど、より優れた新技術の出現により陳腐化し忘れ去られるのも速いのです。図面や作業手順が記録として残っていたとしても、送風の加減、継ぎ足すタイミングや量、炉内への撒き方、ノロの掻き出し方など、実際的なノウハウが忘れ去られていたとしても不思議では無い、と私は思います。動画内で仰っているのはそういうことではないでしょうか。
いや 技術的なことがわからなくなってしまっているという話ではなくてなぜその地で400年も続いた産業の地なのに文献もなく造成工事で発見されるまで全く忘れ去られていたのかということです。因みに技術的な話をしますと鉄作りの責任者は村下といって各たたらには表村下と裏村下がいて交代で3日3晩約30分おきに木炭と砂鉄をいれる間隔や量などを指示していたそうです。村下が10人いれば10通りのやり方があると言われ村下各個人のノウハウに基づいて鉄を吹いていたようです。こんな感じなので製法をきっちりさせようと江戸時代に製鉄法の文献を残した人がいるのですが所詮はその人のノウハウでしかないのです。たたらとはそういうものです。またたたら製鉄の方法は現在でも玉鋼の必要性から年に一度吹いており技術的に絶えているわけではありません。そのほか大鍛冶というのが昔はあってたたらから上がった鉄から炭素を抜いて一般鉄具に向いた鉄を作る技術がありましたが大正時代に途絶えましたが国立博物館による復元作業が成功し技術的なこと及び製法は全て判明しています。
@@ssmmai 私が申し上げているのは、作業工程ではなく、いわゆる「職人の勘所(かんどころ)」の部分です。製鉄というのはとても奥深く、不純物の添加や排除、温度遷移、鍛造における応力分布などによって大きくその物性が変わっていきます。現代では主に美術工芸品としての日本刀に必須とされる玉鋼も、外国から入って来た溶鉱炉による製鉄が急速に普及する中で、生き残りを賭けてたたら業者がたたら銑鉄の成分を初めて分析し等級付けされたもので、それまでは「良い鉄」の定義は「職人の勘」としてしか存在していません。それもたたら銑鉄の塊を砕いてみたら色んな種類の鉄があって、「良い鉄」とされる部分はこういう組成だった、という程度の分析でしかありません。NHKスペシャル 新・電子立国「第8回 コンピュータ製鉄」という番組で、「職人の勘」を技術として確立していった様が克明に描かれています。(奇しくも同じ「製鉄」というテーマですw)前半 ruclips.net/video/xeLO9DmXK9I/видео.html後半 ruclips.net/video/BQAeQRV2Z18/видео.htmlこの後半の7:15あたりから「小島さんの手帳」というものが紹介されます。鋼の厚板を作る圧延工程をコンピュータで自動化する際に、手動で圧延機を操作していた職人が書いたメモが非常に役立った、というお話です。私は工作機械からはじまりFA制御のエンジニアを長年やってきましたが、機械での自動化をする際には、まずは職人の手作業の模倣から始めます。そして職人の勘の中でも特に重要な「勘所」というのは、往々にして文書化はされていません。勘所を解らずに単純な模倣機械を作れば、歩留が劣悪なものになり、百発百中の職人の業を自動化するという観点からは「失敗」となります。職人からすれば、自動化=自分の職を失う、ということにもなりかねないデリケートなもので、それこそ弟子入りするくらいの勢いで根気よく教えて貰いながらノウハウを掬い上げていくことで初めて自動化できます。貴方が仰った「技術的なこと及び製法は全て判明」というのは、恐らくはそういった意味での勘所の重要性を解っている方々が監修・分析なさったからだと思いますが、そういう見地が重要だと認識されるようになったのは急速に自動化が進んだ明治以降です。そもそも科学技術が未成熟な時代には、文書化することすらできなかったと思います。この時代にリンやマンガンや炭素の含有率なんて分析しようもありません。それでも「小島さんの手帳」に相当するような記述は残っていても不思議ではありません。「こういう風にやったらこういう塊ができやすい」程度でも良いので記録が蓄積されれば、それはいずれ技術になります。そういった記録が失われているということは、そもそも記録されていなかったと私は考えます。・低品質の銑鉄でも鍛冶の段階で修正する技術があった(後の大鍛冶に相当?)から、銑鉄の品質は求められなかった・そこまで品質を求めるような産業が存在していなかった・門外不出の秘伝として口伝だったあたりではないでしょうか。長文失礼。
>私が申し上げているのは、作業工程ではなく、いわゆる「職人の勘所(かんどころ)」の部分です私が最初から言ってるのは「なぜ文献もなく造成工事で発見されるまで全く忘れ去られていたのか」ということです。私はこれだけの設備だったのに文献上もなく忘れ去られていたかの疑問であって、あなたは「職人の勘所」や技術の話をしているので最初から話が噛み合ってないと思います。述べられた技術的な話をひとつだけ申し上げておくと大鍛冶というのは「低品質の銑鉄でも鍛冶の段階で修正する技術」ではありません。脱炭するための作業です。
柏崎「遺跡考古館」行きたいで~す😊
古事記には八岐大蛇は高志から来たとありますので製鉄と何か関連がありそうですね。三種の神器の剣は八岐大蛇の尾から出でるのだから、ひょっとしてもともと柏崎で作られたものだったりして。
心がふるえる。
おススメに出てきました。興味深いです。
新幹線のレールは世界一最高の鉄で作られている 古代の製鉄の継承の為わものである
発掘頑張って欲しい
その前の青銅はどうやって作ってたのかな🤔?
遺物保管用の木製コンテナをはじめて見ました
大規模な鉄の製造もさることながら、大和朝廷の成り立ち、勢力拡大の裏側も気になってきました。糸魚川の奴奈川姫が大国主に見初められ結婚、男の子が生まれたものの、直ぐに別れてしまった…どうやら翡翠の在処や加工方法を問われたけれど教えなかったから怒らせてしまい追われて最期は自害したという説もある。いつか古文書を解読して紐解きたいなと妄想します。
今は埋め立てられフロンティアパーク、産業大学があります
製鉄の日本での発祥の地は、渡来人が行き着いた島根県ばかり思っていた。 新潟県も・・・地理的には納得です。 しかし、大和朝廷時代に京の誰が北国に開拓(国府設置等)しに行ったのだろう。
近江の製鉄は鉄鉱石だが、砂鉄の方が効率が良かっただろう。
サムネが手形に見えた😮
実測による図面作成って今は3Dプリンターで出来ないのでしょうか。
3Dデータ入力に使うのはスキャナーですね。^^;
鉄はスキタイや匈奴という騎馬民族が伝えたそうです
ヒッタイト国が崩壊して技能が到来したのか
@@fujiwaragayouato9303 ヒッタイトは馬による戦車を用いて戦争をしました
もともと赤レンガの巨大な施設が風化し赤土になってしまったという説を考えていますが如何でしょうか?
製鉄を教えたのは渡来人?
サムネ手の跡ついてる。3は構成の基本数らしい。5は女神数だとか。
ナレ声w鉄腕DASHの企画で製鉄とかやりそう笑
世界ふしぎ発見みたい😂
8…12世紀で古代かよ。
広義では"古代"で問題ない
まぁ、8世紀は古代
日本人わなにかと言うと、つたわつたなどと言う、自信おもて、自分で考えて作ったのに、現在お見ろ、日本人が発明したものが、世界一多い事お。
鉄器時代・・・・・解明はしてない。
新潟は金属鋳造や金属加工、刃物などが盛んですね。歴史があるのですね。
なるほど!製鉄遺跡が広大な範囲に広がる理由が分かりました。作り方が分かると派生する様々がみえてきますね。勉強になりました!
代わり番子、なるほどね。勉強になりました。良い番組でした!
遺跡は新潟産業大学の近くかな。砂鉄は海岸から鵜川、軽井川まで小舟で運ばれたのでしょう。何故もっと海の近くでなかったのか、理由があるのでしょうね。
柏崎市さん、いい仕事してますね、大事なことですよね、新潟県民だけではなく日本人全員にとってもとても大事なことと思います。
こういう事業は行政にしかできないことです。
このような事業を「税金の無駄遣い」などという何の勉強もしていない人士の言論は無視しましょう。
しかし何で400年にもわたって大規模な製鉄が行われたのに現在に至るまで記憶から完全に失われ造成工事が行われるまで忘れ去られてしまったのかそちらに興味がある。
400年といえば20世代を少し下回る程度で何世代長年にわたり近隣諸国の者も知らない人はいなかったはずなのに文献にも言い伝えにも残っていないとは不思議。
400年も続いた歴史なら文献が無いのは確かにおかしいです。
私は大災害で巨大な赤レンガ建築物の工場が崩れて赤土になってしまったと見ています。
電話ってご存知ですか?いわゆる有線の固定電話のことです。
・電話は停電時でも使えるように、電話局から電気を供給しています。
・牧場で電話線を牛が噛んでも死なないように、12Vという電圧になりました。
・低電圧でも長距離伝送できるよう、高品質な電線を使っています。
・高品質で高価なのでとても細く作られています。
・とても細くて加工が非常に難しく、専門職の人しか工事ができませんでした。
ベルが電話を発明したのが1876年
携帯電話がショルキーから小型化していったのが1990年代
iPhone発売が2007年
かつて電話は世界中に普及し、先進諸国ではほぼ全世帯に設置され、100年以上使われてきました。冒頭で述べた電話線の技術的なアレコレは、少し技術に詳しい人なら誰でも知っているものでした。ところが携帯電話の普及が進んだ2000年代から徐々に需要が減り始め、iPhoneにはじまるスマホが爆発的に普及し、スマホ登場後15年ほどで完全に「過去のもの」となってしまいました。
まだまだ店舗や家庭の固定電話やオフィスのビジネスホンなどは健在ですが、新規で設置される電話回線は光ファイバーで、昔ながらの電話線の工事は殆どありません。冒頭で述べたような電話線に関する設計ノウハウは、記録としては残っていますが専門職人は減る一方で、恐らくその工事ノウハウはあと1世代もすれば完全に廃れて忘れ去られると思います。
基幹産業の先端技術ほど、より優れた新技術の出現により陳腐化し忘れ去られるのも速いのです。
図面や作業手順が記録として残っていたとしても、送風の加減、継ぎ足すタイミングや量、炉内への撒き方、ノロの掻き出し方など、実際的なノウハウが忘れ去られていたとしても不思議では無い、と私は思います。
動画内で仰っているのはそういうことではないでしょうか。
いや 技術的なことがわからなくなってしまっているという話ではなくてなぜその地で400年も続いた産業の地なのに文献もなく造成工事で発見されるまで全く忘れ去られていたのかということです。
因みに技術的な話をしますと鉄作りの責任者は村下といって各たたらには表村下と裏村下がいて交代で3日3晩約30分おきに木炭と砂鉄をいれる間隔や量などを指示していたそうです。村下が10人いれば10通りのやり方があると言われ村下各個人のノウハウに基づいて鉄を吹いていたようです。
こんな感じなので製法をきっちりさせようと江戸時代に製鉄法の文献を残した人がいるのですが所詮はその人のノウハウでしかないのです。たたらとはそういうものです。
またたたら製鉄の方法は現在でも玉鋼の必要性から年に一度吹いており技術的に絶えているわけではありません。そのほか大鍛冶というのが昔はあってたたらから上がった鉄から炭素を抜いて一般鉄具に向いた鉄を作る技術がありましたが大正時代に途絶えましたが国立博物館による復元作業が成功し技術的なこと及び製法は全て判明しています。
@@ssmmai 私が申し上げているのは、作業工程ではなく、いわゆる「職人の勘所(かんどころ)」の部分です。
製鉄というのはとても奥深く、不純物の添加や排除、温度遷移、鍛造における応力分布などによって大きくその物性が変わっていきます。現代では主に美術工芸品としての日本刀に必須とされる玉鋼も、外国から入って来た溶鉱炉による製鉄が急速に普及する中で、生き残りを賭けてたたら業者がたたら銑鉄の成分を初めて分析し等級付けされたもので、それまでは「良い鉄」の定義は「職人の勘」としてしか存在していません。それもたたら銑鉄の塊を砕いてみたら色んな種類の鉄があって、「良い鉄」とされる部分はこういう組成だった、という程度の分析でしかありません。
NHKスペシャル 新・電子立国「第8回 コンピュータ製鉄」という番組で、「職人の勘」を技術として確立していった様が克明に描かれています。
(奇しくも同じ「製鉄」というテーマですw)
前半 ruclips.net/video/xeLO9DmXK9I/видео.html
後半 ruclips.net/video/BQAeQRV2Z18/видео.html
この後半の7:15あたりから「小島さんの手帳」というものが紹介されます。鋼の厚板を作る圧延工程をコンピュータで自動化する際に、手動で圧延機を操作していた職人が書いたメモが非常に役立った、というお話です。
私は工作機械からはじまりFA制御のエンジニアを長年やってきましたが、機械での自動化をする際には、まずは職人の手作業の模倣から始めます。そして職人の勘の中でも特に重要な「勘所」というのは、往々にして文書化はされていません。勘所を解らずに単純な模倣機械を作れば、歩留が劣悪なものになり、百発百中の職人の業を自動化するという観点からは「失敗」となります。
職人からすれば、自動化=自分の職を失う、ということにもなりかねないデリケートなもので、それこそ弟子入りするくらいの勢いで根気よく教えて貰いながらノウハウを掬い上げていくことで初めて自動化できます。
貴方が仰った「技術的なこと及び製法は全て判明」というのは、恐らくはそういった意味での勘所の重要性を解っている方々が監修・分析なさったからだと思いますが、そういう見地が重要だと認識されるようになったのは急速に自動化が進んだ明治以降です。
そもそも科学技術が未成熟な時代には、文書化することすらできなかったと思います。この時代にリンやマンガンや炭素の含有率なんて分析しようもありません。
それでも「小島さんの手帳」に相当するような記述は残っていても不思議ではありません。「こういう風にやったらこういう塊ができやすい」程度でも良いので記録が蓄積されれば、それはいずれ技術になります。そういった記録が失われているということは、そもそも記録されていなかったと私は考えます。
・低品質の銑鉄でも鍛冶の段階で修正する技術があった(後の大鍛冶に相当?)から、銑鉄の品質は求められなかった
・そこまで品質を求めるような産業が存在していなかった
・門外不出の秘伝として口伝だった
あたりではないでしょうか。
長文失礼。
>私が申し上げているのは、作業工程ではなく、いわゆる「職人の勘所(かんどころ)」の部分です
私が最初から言ってるのは「なぜ文献もなく造成工事で発見されるまで全く忘れ去られていたのか」ということです。
私はこれだけの設備だったのに文献上もなく忘れ去られていたかの疑問であって、あなたは「職人の勘所」や技術の話をしているので最初から話が噛み合ってないと思います。
述べられた技術的な話をひとつだけ申し上げておくと大鍛冶というのは「低品質の銑鉄でも鍛冶の段階で修正する技術」ではありません。脱炭するための作業です。
柏崎「遺跡考古館」行きたいで~す😊
古事記には八岐大蛇は高志から来たとありますので製鉄と何か関連がありそうですね。三種の神器の剣は八岐大蛇の尾から出でるのだから、ひょっとしてもともと柏崎で作られたものだったりして。
心がふるえる。
おススメに出てきました。
興味深いです。
新幹線のレールは世界一最高の鉄で作られている 古代の製鉄の継承の為わものである
発掘頑張って欲しい
その前の青銅はどうやって作ってたのかな🤔?
遺物保管用の木製コンテナをはじめて見ました
大規模な鉄の製造もさることながら、大和朝廷の成り立ち、勢力拡大の裏側も気になってきました。糸魚川の奴奈川姫が大国主に見初められ結婚、男の子が生まれたものの、直ぐに別れてしまった…どうやら翡翠の在処や加工方法を問われたけれど教えなかったから怒らせてしまい追われて最期は自害したという説もある。いつか古文書を解読して紐解きたいなと妄想します。
今は埋め立てられフロンティアパーク、産業大学があります
製鉄の日本での発祥の地は、渡来人が行き着いた島根県ばかり思っていた。 新潟県も・・・地理的には納得です。 しかし、大和朝廷時代に京の誰が北国に開拓(国府設置等)しに行ったのだろう。
近江の製鉄は鉄鉱石だが、砂鉄の方が効率が良かっただろう。
サムネが手形に見えた😮
実測による図面作成って今は3Dプリンターで出来ないのでしょうか。
3Dデータ入力に使うのはスキャナーですね。^^;
鉄はスキタイや匈奴という騎馬民族が伝えたそうです
ヒッタイト国が崩壊して技能が到来したのか
@@fujiwaragayouato9303 ヒッタイトは馬による戦車を用いて戦争をしました
もともと赤レンガの巨大な施設が風化し赤土になってしまったという説を考えていますが如何でしょうか?
製鉄を教えたのは渡来人?
サムネ手の跡ついてる。
3は構成の基本数らしい。5は女神数だとか。
ナレ声w
鉄腕DASHの企画で製鉄とかやりそう笑
世界ふしぎ発見みたい😂
8…12世紀で古代かよ。
広義では"古代"で問題ない
まぁ、8世紀は古代
日本人わなにかと言うと、つたわつたなどと言う、自信おもて、自分で考えて作ったのに、現在お見ろ、日本人が発明したものが、世界一多い事お。
鉄器時代・・・・・解明はしてない。